付喪神と故人の霊と私

こんにちは タイムです

 

私は「無意識の中の私」と「故人の霊」と「付喪神」には

 

共通点があるのではないかという事に気がつきました

 

それは、みんな私達の知らない事を知っているという事です

 

「故人の霊」は死後にも関わらず私と話をした時点までの状況がわかっていました

 

これから起こる未来についてのアドバイスもくれました

 

そして、生前の個性をそのまま持っていました

 

でも、違いもあります

 

「故人の霊」には、体がありません

 

「故人の霊」をベースと考えると

 

付喪神」は物に縛られており、

 

物を自分だと思う自意識はあっても、もし物が壊れ意識が離れた場合

 

「故人の霊」のように個性が保てるとは思えません

 

でも、もしかしたらその物に対して人が凄く感謝したり、

 

愛着を持って大切にしていた場合、次は生き物とかに

 

生まれ変わる事ができるのかも?

 

と想像しますが、それは分かりません

 

私は、「無意識の中の私」と「故人の霊」は

 

同じなのではないかと、思っています

 

私がもし死んだとすると、「無意識の中の私」は体を離れて

 

そのまま「故人の霊」になるのではないか?

 

何人もの「故人の霊」から話しかけられて、私はそう思う様になりました

 

私達が「正面の意識」と「無意識の中の私」の二重構造

 

又は、多重構造の意識を持っているとすると、それは私達が生き物であり

 

体と脳を持っているからだと思います

 

そして、私が他の人には聞こえない「故人の霊」や「付喪神」の声が聞こえるのは、

 

もしかしたら脳に発生する「正面の意識」と「無意識の中の私」の間の

 

ズレの様なものが他の人より大きく、本来は「無意識の中の私」にしか

 

聞こえないはずの声が聞こえるのではないか?

 

私は最近そう思うようになりました

 

声が聞こえた場合、ビックリする位大声だったりする時もあるので

 

「無意識の中の私」が聞いているのか?体の聴力で聞こえるのか?

 

自分では区別がつける事はできません

 

耳元で普通に話しかけられた様に聞こえるからです

 

以前、私は体の機能として普通の人が聞こえない周波数

 

(例えば何十オクターブ低い音)が聞こえる構造なのではないかと

 

疑っていた時があります

 

もしそうなら、その周波数を見つける事ができたら

 

私達が感じる事のできない彼らの謎や存在がわかるのではないか?

 

私はそう考えていました

 

私の中に非科学のままの謎ではなく、科学の理論として

 

解明したい そういう気持ちもあったのです

 

私のイメージでは、科学は全人類のものであり、非科学は個人のもの

 

という感じがします

 

聞こえた 見えたと言っても他の人には確認しようがないので、

 

その人を信じるか信じないかの自己責任になってしまいます

 

それならば、科学の方が受け入れやすい

 

私はいつかこの世界の謎が科学の力で解明される事を楽しみにしています

 

そしてもしかしたら、結局「縄文時代アニミズム」が真相に

 

一番近かったという事になるのかもしれない 私はそう思っています