祖母の初盆と母の七回忌

こんにちは タイムです

 

今回は、私の祖母が亡くなって初めてのお盆の時の話をします

 

その年のお盆に私と主人は、祖母が生前住んでいた叔父さんの家に

 

お参りに行く事にしました  

 

そして、叔父さんの家に着き挨拶をした後、私達は仏間に案内され

 

仏壇の前に座り手を合わせて、お参りをしました

 

その時、「やぁ、(私)ちゃん、来たのかい!」という、

 

祖母の大声が、聞こえました 

 

その声は、本当にビックリするくらい大きくて

 

私はつい 「ばあちゃん、(初心者すぎて)ボリューム調整ができないのかな?」

 

「そんな大声ださなくても、ちゃんと聞こえているよ」

 

と思い、なんだか可笑しくなりました

 

そして、隣で真剣にお参りしている主人を見たのです

 

主人は、あの大声にも関わらず何の反応もしていなくて

 

「やっぱり聞こえていないんだ」

 

「聞こえたのは、私だけか▪▪」 と、思いました

 

祖母が亡くなったのは、93歳で高齢でした

 

私の中では、最後の頃の弱々しいイメージが強くて

 

あんな大声が出せるとは、思ってもいなかったのですが

 

(あちら?)に行って本来の元気を、取り戻したような

 

感じがしました

 

祖母は、恐ろしく元気でエネルギーに満ち、

 

光輝いているようでした 

 

そして、私達がお参りに来た事をとても喜んでくれている様に感じました

 

(あちら?)で元気そうで良かった  なんだか楽しそう 

 

祖母は生前の体の不調から解放されたのだと思います

 

もう辛さはなく自由で元気な声を聞くことができて、

 

「本当に良かった 元気になれて良かった」

 

私は、そう思い嬉しくなったのです

 

そして、「お盆に故人が帰って来るという言い伝えは本当だったのだ

 

この事は覚えておこう」  その時私は、そう思いました

 

そして去年、私の母の七回忌の法要をおこないました

 

身内だけが自宅に集まり、こじんまりとした法要でしたが

 

無事に終わり、仏壇周りを片付けている時、

 

母の声が聞こえました   「(私)ちゃん ありがとう」

 

私は、本当にビックリしました

 

「それって、嬉しいものなの?」

 

私には、信仰心とかはあまりなく、ただなんとなく七回忌の時期だし

 

昔からの事なのでと、何も考えずに行ったのに

 

母は喜んでくれていました

 

でも、私は不思議だったのです 

 

母は(多分私と同じ位)生前お経を聞いても、別に普通な反応でした

 

母はお寺の娘で、小さな頃からお経を聞いていたと思うのですが、

 

有り難がっている様にも、信心深いわけでもありませんでした

 

それに、月命日には毎月お坊さんに来ていただき、お経をあげてもらっています

 

何がそんなに嬉しかったのだろう?

 

月命日と何が違うのだろう?

 

私にはさっぱり意味が分からなかったのです

 

例えば、お盆に故人が帰って来るとか、七回忌って多分日本だけの

 

事ですよね? 他の国や地域で違うだろうし、他の宗教の人達は

 

きっと故人への弔い方は、違っているはず

 

きっと時代によっても、違うと思います

 

では、何故祖母はお盆に帰って来たのだろう?

 

母は法要を喜んだのだろう? 共通点は何?

 

私は法要等の行事は、故人の為というより残された人々の心を癒す為に

 

あるものだとずっと思っていたのです

 

でも、その為もありますが、本来の意味はやはり故人の為に行うものだった

 

という事に、やっと気づいたのです

 

二人共喜んでくれているのでそれは確かな事のように思います

 

そして、やっと最近分かったのです

 

方法ではないのだ 心なのだ と

 

わかってみると簡単な事なのに、この事に気づく迄

 

凄く時間がかかってしました

 

大切なのは、故人を弔う気持ちだったのです

 

きっと古代から今まで、地域や宗教によって各々の方法で

 

人々は故人を弔ってきたのです

 

そして、故人に届くのは私達の故人を思い、弔う心なのだと

 

私はこの歳になってやっと分かったのです

 

何の反応も無い様に思えても、きっと私達の心は故人に届いている

 

私はそう思うのです