1つ目の話 東京オリンピック

こんにちは タイムです

 

2011年3月11日 東日本大震災が起き、日本は壊滅的なダメージを負いました

 

私は、テレビで恐ろしい津波の様子と被害を受けた町並み、大勢の被災者の方々を

 

見て、ショックを受けました

 

悲しくて悲しくて、でも、その中で復興に向けて勇敢に

 

立ち上がる人々の姿がありました

 

テレビでは、連日そのニュースを放送しており、私は無力ながら

 

1日でも早く日常が戻って来れる様に願う事しかできませんでした

 

そしてその年の4月、東京都がオリンピックに立候補するかもしれない

 

という話が聞こえてきたのです

 

その当時、都知事だった石原さんが、震災で傷ついた日本に勇気と希望を

 

持たらす為にも、東京でオリンピックを開きたい

 

そう考えているらしいという話だったのです

 

「2020年のオリンピックに東京都は立候補するかもしれない!」

 

立候補する年が2020年だと分かった時、

 

私は物凄くショックを受けました 

 

「2020年はまずい! それは止めて!」

 

その時、私には2020年の場所に巨大な山がそびえ立っているのが、見えていたのです

 

私の立っている場所が2011年で、

 

そこから道が2020年の巨大な山迄続いていました

 

その巨大な山は、あまりにもはっきり見え、

 

2020年には何かが起きる 私はそう確信していたのです

 

でも、何が起きるのかわからない

 

その頃、私はテレビでいつも震災のニュースを見ていて

 

津波の破壊力と恐ろしさにショックを受けていました

 

「2020年に、東京で大地震が起きる! 津波も来る!」

 

私は2020年に、東京で大地震が起きると思ったのです

 

私の頭では、その当時それ以外の想像はできませんでした

 

「大変だ! どうしよう!」

 

「2020年に、オリンピック開催は無理だ!」

 

「誰か石原さんを、止めて!」

 

「きっと東京都が立候補したら、2020年のオリンピックは東京になる!」

 

「何で2020年に、立候補するの💢」

 

私は、パニックになるほど1人で焦っていました

 

「日本の大ピンチだ!」 「どうしよう?どうしよう?」

 

「石原さんは愛国者のはずだ! なのに何であの山が見えないの?」

 

「あんなにはっきり見えているのに?」

 

「見えないなんておかしい?」

 

私は焦りのあまり石原さんに腹を立てていたのです

 

「石原さんが見えなくても、周りの誰かは見えるはず!」

 

「見える人!願い!石原さんに教えてあげて!」

 

私には、その山がはっきりと見えていて他の人も絶対見えている筈だと

 

頑なに思っていたのです

 

でも、誰も巨大な山の話はしませんでした

 

「どうしよう?どうしよう?」

 

そう思っている時、次の映像が見えました

 

東京のビルが立ち並んでいる交差点、

 

人は誰もいなくて、まるでゴーストタウンの様になっていました

 

「東京で人が、いないなんて事はあるの?」

 

「みんな何処に行ったの?」

 

都内のビル群には、地震津波の跡はなく綺麗なままで、

 

私は、物凄く不思議に思いましたが映像の意味が分からず、

 

気にはしませんでした

 

「そんな事より地震が来る!」

 

「何かいい方法はないの?」

 

そう思い悩んでいた時、最後の映像が見えました

 

私は、分かるのに凄く時間がかかるのです

 

多分次の映像が見える迄数日はかかっていたと思います

 

「えっ?あれ?オリンピック出来たの?」

 

今までの緊張感から一気に拍子抜けする感じで

 

東京オリンピックが開催されている映像が見えました

 

「あー、オリンピックできたんだ!」

 

日本は、国家の威信にかけてオリンピックを開催しました

 

海外からは、「よくあの状態でオリンピックを開催できたね

 

やっぱり日本は凄い!」 そう称賛されている

 

世界中が、東京オリンピックを楽しんでいる

 

私は、ほっとして嬉しくなったのです

 

「日本はどんな困難があっても、仕事はきっちり出来るんだよね!」

 

「良かった!」  

 

「私が心配しなくても、日本は大丈夫だった!」

 

結局その時は、心の中で1人でパニクって、1人で安心してという

 

忙しい状態でした

 

これが私の見えたものです

 

でも、その時見えた映像の中でとても心配な映像がありました

 

それはあの巨大な山の映像だったのですが、結局一番初めに見えたその映像が

 

繰り返し繰り返し何度も波の様にやって来て、私の中に何ヵ月も

 

留まっていました

 

もしかしたら、その映像が一番大切なメッセージだったのかもしれない

 

今は、そう思っています

 

次回に続きます